
師走のこと
1日 あっという間の1年間の締めくくりの月に突入。我が家にとっては、文字通りあっという間だった。
なんと変わり映えのしない、それでいて超多忙な年だったのかしら。
でも、暮だからといって借金とりに追い回されるでなし、そこそこ無事に歳が越せそうな気配を感じることができるのは、なんと幸せ!と、思わず神様仏様に手を合わせたくなる。
デイホームに行く道すがら見る紅葉も、すっかり輝きを失って、自然界は冬まっしぐら、という感じだった。
それでも出掛けるまでは、今日のコーラスの1曲目は「紅葉」にしようと思っていたのだけれど、行ってすぐに出されたリクエストは、クリスマスの曲だった。
「きよしこの夜」を歌っていると、1年前のことが、つい昨日のことのように思われてくる。
この調子で来年も走り去って行ってしまうのかしら。おお!こわ。
午後キョウコさんのお宅に、切れてしまった安定剤を頂きに行く。夫が発病してから、軽い安定剤を飲まないと朝まで眠ることができなくなっている。
ついでに、この2、3日調子を崩しているお腹のために整腸剤を出して頂き、その足で病院まで行ったら、エレベーターの中で、会社帰りに寄った息子と出会った。
夫は、今週中に退院できそうで、ご機嫌がいい。
このところ又冷蔵庫の中身が増えてきているので、たまにはご飯食べに来て、と息子を引っ張りこみ、野菜たっぷりのお鍋をほかほかと楽しんだ。
一人の生活中は光熱費、食費が激減していたけれど、今週後半からまた、元の生活に戻ることになるだろう。
私にとっては、毎日の病院通いがなくなる代わりに、3食の献立に頭がいたくなりそう。
2日 起きて思わず「さむ〜〜い」とひとりごとが出た。今までで一番の寒い朝だ。
全くあの夏の裏切りぶりからは想像もつかないほど、冬は忠実ぶりを発揮する。昨日の整腸剤が効いて、今朝は晴れやかな気持ちだけれど、この寒さだけはいただけない。
今日からハルコさんが日吉のセントラルクラブに来ることになったので、私は先輩風を吹かせて、面倒を見てあげるという約束を取り付け、12時45分に日吉の改札口で待ち合わせる。
9人兄弟の下から2番目という彼女は、どうやらお姫様育ちで、男兄弟に挟まって女扱いをされないで育った私としては、見ていられないところがあるのだ。
犬の散歩のあるハルコさんと、病院に行く私、お互いに有効に時間をこなして、駅でバイバイ。明日出来る眼鏡代を病院に届けた。帰ってから子供たちの誘いで、4人で駒沢の叙々苑に焼肉を食べに行く。
明後日旦那が帰ってきたら、焼肉を食べることは無理なので、1週間早い私のお誕生日のお祝いだった。うれしい!駒沢公園は話に聞いていたとおり、この寒い季節の夜だというのに、ジョギングの人でいっぱいだった。
夜風に吹かれながら駒沢公園の2.1`をぶらぶらと一周、隣接する東京医療センターには、アツコさんが2、3日前から腸閉塞で入院中だ。腰骨を骨折して入院中のレイコさんと、2人の欠席者で明日のユトリーバはさみしいだろうな。
3日 78回目のユトリーバ例会。 今日は欠席が多く6人のお客様だったけれど、相も変わらぬ賑やかぶり。
朝入院中のレイコさんから電話が入る。手術して6日目なのに、もう車椅子に乗っての明るい声が聞こえてきてなんだか嬉しくなった。
この分では早い復帰になるだろう。怪我をした詳細を聞いたら、玄関の前の3段の階段で転んで、敷石に腰をぶつけたための大腿骨骨折だったとか。
御主人が帰宅されるまで、動けないまま外で2時間待っていたという話を聞いて、みんな“ぞぞ〜”。
今日は話に花が咲いて、コーラスはお休みしてしまった。皆で入院中のアツコさんとレイコさんに、クリスマスカードとお見舞い金を贈ることにして、寄せ書きをする。
旦那は今朝、退院前の念のための血液検査の数値が悪くて、退院が取りやめになった。
夕方先生に話を聞く。今日血液検査をやってよかった、それでないとまたすぐに、入院ということになったでしょう、と先生としてはいい判断と思っているようで、私もそう思ったけれど、本人はがっくりしている。
明日は多分内視鏡手術のやり直しになりそう。今まで3回のステント入れ替えは、プラスティックの暫定的処置だったけれど、今回はもう入れ替えの効かない金属ということになりそう。どうして今まで金属を入れなかったかという疑問をぶつけてみたら、出血のリスクが高いので、ということで、初めて納得したけれど、出血したらどうなるのかと新たな心配が起きた。
明日の処置は午後の予定で、もし早くなったらお電話します、と先生に言われたけれど、病院から電話が来るなんて、嫌だからプールに行くのをやめて、早めに行こうと思っている。
4日 秋が来るたびに、日本に生まれてよかったと思う。これ以上の美しさは他のどこの国にもないような気がする。
今までにカナダ、アラスカ、ヨーロッパ、そして中国・雲南の秋を経験しているけれど、日本とどこか違うのはなぜかしら、と考えて思い至ったのが、日本固有の文化であり、秋に感じられる「わび、さび」。
家の周りを10分間歩いただけで、山のような感動を受けてしまう。
流石に我が家の周りは、古い家が殆んど建て替えられてしまったけれど、それでも庭の片隅に、昭和の初めのひそやかな風情を感じることがしばしばある。
もう一つ、私にとって秋の好きな理由が柿だ。柿が死ぬほど好き。そのなかでも富有柿が最高。
今頃の季節になると、リビングのテーブルの上ばかりでなく、冷蔵庫にも常に柿が存在する。
テレビで、種なしの柿が作りだされて人気を呼んでいる、と言っているのを聞いて、「あ」、と思った。
今朝食べた柿には見事重量感があって、ずっしりとしたその実のどこにも、種がなかったのだ。
思い出したことがある。何年か前にスイスからイタリアに抜ける山の中の小さな村の市で、柿が手押し車にいっぱい積み上げられているのを見た。日本円に換算して1個100円ぐらいだったと記憶しているけれど、「kaki]と書かれたその品は、美味しそうなのにどこかよそよそしい風情を漂わせていて、買う気が起きなかった。
柿はやっぱり日本のものに限る、と、偏見おばはんは自説を曲げない。
とろけるような甘さがいっぱいの柿は、本来ならば、旦那と半分ずつ食べるのだけれど、今は一人で全部平らげてしまう。
ちなみに今冷蔵庫は柿、林檎、ミカン、苺、オレンジと、フルーツオンパレード。
誰か来ないかな〜。
5日 昨日は3時半にステント入れ替え手術の番が回ってきて、5時にベッドに戻ってきた。
今回は永久的な金属を2本肝臓の出口の胆管に挿入。終わってから担当医が「大変申し訳ないのですけれど、今回のステントが少々高価なものでして」、と言いにくそうに言われる。
詳細を聞いてみたら、保険がきかなくて1本が30万円で、それを2本入れまして、とのたもうた。
そういう理由で今まで金属を入れなかったのか、でも、もう入れてしまったものはお払いするしかない。
これで体調が少しでも良くなるのなら儲けもの、と飲み込んだけれど、頭の中で銀行の通帳がひらひらと舞い踊っている。
今回は麻酔が強力で、2時間経っても無呼吸状態がしばしば起き、そのたびに揺さぶり起こして、ついに酸素マスクをつけてもらった。ベッドの横に7時間居たので、ゆうべはなんだか疲れてしまって、この件に関しては、1日遅れの日記となる。
これではならじと、朝健康体操を受けに行き、帰宅してお昼を食べてから、そのまま病院に行く。
請求書が来て夫がショックを起こさないためにはと、昨日のステント代の話をしたら、それはチタンだから高いのは当たり前、と平然としている。考えたら旦那はその道の人だった。
今月は3桁の請求書が来るだろう。我が家のギネスブックに載せなきゃ。
どこからこのお金を出そうかしら?と、考えて、旦那の了解を得ようと思ったら、「その通帳は相続税につかうように」という。結局のところ、取り敢えず私の懐が風邪を引きそう。
「教訓、歳を取ったらお金が必要!」
夕方から、寒冷前線の通過で、ものすごい風雨となり、呼吸が平常に戻ったのを見届けて、傘もさせない雨風の中を帰宅した。
6日 昨日の強い風雨で、美しく黄葉した銀杏がすっかり散ってしまって、見る影もない。
なんだか旦那の今回の発病を連想させる、青天の霹靂といった嵐の到来だった。
お願いだからもう少しここに居させて、と叫びながら、花吹雪のように横殴りの風に連れ去られて、足元はみるみる内に黄色い絨毯に変身していってしまった。
今日は昨日の嵐からは想像もつかないような秋の空だけれど、しんしんと冷え込んでいる。台所口を開けたら、土が見えないほどの落ち葉で埋まっていた。でも掃除したくないので、大急ぎで戸を閉める。
朝のうちに、昨日買ってきた天然のひらめを煮る。今日はたっぷりと野菜が食べたいので、冷蔵庫から人参、蓮根、かぼちゃなどを取り出して、いろいろな形に切った。煮物と精進揚げとお魚が今日のおかず。取り敢えず煮物を火にかける。
パソコンゲームがやりたくなったので、掌に「ガス」と書いて、しばし遊びの世界に入る。
こうしないと、必ず焦がしてしまうのだものね。
病院の前の大通りは、街路樹の葉がすっかり落ちて、枝だけがひっそりと佇んでいたけれど、まっすぐの道の彼方まで点々と延びる信号機の色が枝に重なって、さながらクリスマスツリーのようで、思いがけない華やかな世界を繰り広げていた。
夫は入れたステントの影響で、まだ炎症反応がみられるけれど、うまくいけば来週末には退院出来るでしょうと先生のお話。
「今夜から流動食が食べられる」と、喜びながら、「飲める」と言い直した。
担当医のお話では、胆汁の流れがいいので、今度は当分大丈夫でしょう、これでおせちが食べられます、今度は多少の油が入っても大丈夫。ということだった。(当分)という意味合いがあるけれども、一件落着と思いたい。
7日 昨日は亡父の祥月命日だった。5日に兄夫婦がお墓参りに行くと言っていたので、私は無理、と断ったけれど、あの嵐で、今日に延期されたと連絡があって、それでは行こうかな、という気になった。
お墓に行っても、何もお願い事はしない。ただ(お久しぶり、いつもありがとう)と言ってくるだけなので、簡単に終わってしまう。
今日の空は一日中、腕のいいペンキ屋さんが塗った壁みたいに、青一色。
帰りに横浜駅で兄夫婦と食事をして(勿論年長者のお支払い)、そのまま京急の普通電車で、本を読みながらのんびりと梅屋敷まで乗って病院に行く。
旦那は作った眼鏡が少々合わず、直してもらう間、前のメガネをかけるというので、いったん持ち帰ったものを持って行ったら、これは違う眼鏡だ、という。
持って帰った眼鏡をどこに置いたものやら、見つからない。
さんざん探した挙句、旦那のベッドの頭に置いてあるのを、やっと見つけた。無意識にやったことが思い出せない。
なにかやる度に確認する必要がある。少々ボケたかな?おおこわっ!
8日 朝のうちに証券会社に電話をして、夫の代わりに行くアポを取り付ける。夫がメモを書いておいたのを持っていくのだけれど、あまりの悪筆で、判読不能。
これでは向こうも困るだろうと、パソコンで大急ぎで書き換える。
7つの項目の質問の内容は、私には理解の外。デイホームからそのまま、自由が丘の街に出て、証券会社にいく。
30分かかって、各項目の返事を書いてもらう間、その手元を見ながら、いつも電話で声だけ聞いていたKさんが、「いけめん」だなあ、と見とれていた。この不景気の中、この会社が潰れても、ホストとしてやっていけそうだわ。
Kさんに、これだけパソコンで書けたら素晴らしい、とおほめの言葉を頂いて、外まで送られて帰った。やっぱりホストの素質充分だ。
病院にいくバスが、なかなか来ない。退屈のあまり空を見上げたら、真っ赤なヘリコプターが3機並んで、赤トンボのように飛んできた。
気楽な私には、思わぬところに感激の材料がいっぱい転がっている。
やっと来たバスは、下校の小学生がいっぱい。車中に給食のにおいが充満している。今日はフライドポテトだったのかな?
昨日頼まれたことを今日即決したので、あまり言われたことのない、「サンキュー」が旦那の口から出た。
9日 今日は私の誕生日だけれど、この間子供たちに1週間早く焼肉を御馳走になってしまったので、今日は自分でお祝いする。
…といっても目下緊縮財政なので、朝ご飯のときに自分に「おめでとう」と言っただけ。
思いついて、庭のたわわに実をつけた千両をひと抱え切ってきて、備前の壺に活けた。とにかく元気でいられることはお祝いに値する。
ちなみに皇太子妃雅子様と誕生日が同じ。あの方にもっと外向きの活動をさせてあげたら、きっとお元気になるだろうに。
12月9日生まれは射手座で、星占いの本を読むと、射手座は生活環境を外に向けると、元気でいられるそうだ。かつて、うちの娘は幸せと思ったことが、2つあった。ひとつは拉致されないで済んだこと。
もう一つが皇室のお嫁さんにならなかったことで、あとのほうは、私が誇大妄想癖があるだけだけれど、誕生日が同じというだけで、なんだかお気の毒に思ってしまうのだ。私が家にこもらなければならなくなったら、発狂するかも。
ずっと昔、友達の誰かが私の留守中に電話をかけてきて、夫に「奥様いらっしゃいますか」と聞いたら、旦那が「おそと様は出かけてます」と言ったとか。話題になって、皆に笑われたことがあった。
つまり私が家に居つかないのは、公然と許されているのだ。
かくして、今日も、朝、本屋に行って、プールに行って、病院に行って、洗濯物の山を抱えて雨の中を帰ってきた。
夜になって、隣の奥さん(むすめだけど)が、気持ばかりのお祝いです、とお小遣いをくれた。なんていい日なの。
10日 昨夜夜半まで、こやみなく降っていた雨が上がって、カーテンを開いたら、まだ名残りを惜しんでいるかのような黒い雲の真ん中に、洞窟の入り口のような穴がぽっかりと開いていて、そこから朝の光が差し込んでいた。
今日は暇な日。そういうときは誰かを引っ張りこむという、人迷惑な計画を立てる。
まちこさんが駅弁を持って陣中見舞いに行きますというので、久しぶりに家じゅうに掃除機をかけた。
本当は、ここまで来ていただくのは申し訳ないので、銀座か浅草ででも、と思ったのだけれど、駅弁に惹かれてきていただくことにした。
持ってきてくださったのは「東京駅弁」。これが半端なものではない。
都内有名料理店の肉、魚、野菜、それに築地の有名な卵焼きまでが、びっしりと詰まっていて、この上なく上等な逸品だった。
それと、彼女の庭で生ったおいし〜〜いミカンが山ほど。
彼女の話が面白くて、夕方まで小止みなく、と言った感じでおしゃべりを楽しむ。
今日は前から考えていた、綴れの帯をお嬢さんにと持って行っていただいた。私が40代で作って、碌に締めるチャンスもなかったものなので、気に入って下さってとても嬉しかった。帯も喜んでいることだろうな。
明日銀行に行って、夫の退院のための支払いのお金を下ろすつもりだったけれど、今日の担当医の話で、年末年始を控えていることでもあり、満を持して来週いっぱい病院に居てくださいということだった。
それで銀行に行くのはやめにする。
11日 時としてリズムがやたら崩れる時がある。今日はそんな日。やることすべてが1拍遅れるのだ。
1週間に2回ぐらい野菜を煮る。まだまだ大丈夫と思って、2階で洗濯物を干して、降りてきたら、タッチの差で焦げた。
駅の前で踏切が閉まって、目当てにしていた電車が行ってしまう。そのあとに来たのは急行で、目の前を
通り過ぎて行ってしまう。プールに行ったら、私がいつも使っているロッカーを、前を歩いていた人が、使って塞がった(これは場所が特定されていないので、仕方がないけど)。プールのコーチの振付がいまいち私の脳内に格納されているリズムと合わず、すべて1拍遅れ。
病院で見ようと思っていたテレビ番組が、気がついたら終わっていた。家に帰るため乗るバスが、タッチの差で行ってしまう。……というわけで、今日一日裏テンポ(この命名は昔の音大仲間の中で流行ったシンコペーションのこと)となってしまった。
まあ、こんな日があってもいいか。
今日11月分の入院の請求書が来た。182,000円ほど。これは唯一正確なリズム内で、ただちに会計に突進した。
…と言ったわけで、今日の私の体内時計はほとんどがシンコペーテッド・クロックとなった。
12日 昨日の強風で怪しの黒雲が消え去って、からりと晴れる。こういう日に限って洗濯物がない。
最近は夫の書いた手紙やメモを、パソコンで打ち直す作業が多い。ベッドの上で書く字が実に実に、読み難いのだ。
だからこれは夫の名誉のための仕事。今日も朝から2通の手紙を打ったけれど、私でも読めない字があちこちにある。
あやうく健康体操に遅刻しそうになった。今日は初めてダンベル体操。若くて美人ちゃんのコーチは、とても指導力があって、いうことも判りやすい。始まりの10分間にレクチャーがあるけれど、毎回言われるのが、10年後に杖をつかないために今頑張って、という言葉。説得力がある。最近、ハードな体操やアクアサイズをやっても、体重が落ちなくなったのは、筋肉が復活したかららしい。
とにかく私は病気にならないように、怪我をしないように、常に細心の注意を払わなければならないのだ。
旦那はうまくいけば来週中に帰れるかもしれない。だから今一生懸命に遊んでおく。
今日はこっそりとカステラを食べさせた。カステラが食べたいと、わざわざ電話してくるんだものね。
今日も病院を出たと同時に、夕暮れの大通りを、バスのライトが流れて行った。
寒い中を10分待つのは嫌なので、ジングルベルのメロディを頭の中で口ずさみながら、信号の光をクリスマスツリーに見立てて、せっせと歩く。5分ほど行った時に次のバスに追い越された。待っても来ないくせにと、詐欺にあった気分。
13日 ゆうべ歩きながら雲ひとつない空を見上げたら、見事な満月がまんべんなく光を投げかけていた。
それが今朝になったら、古布団の綿みたいな薄汚れた雲に覆われている。
雲ってなんとせっかちなんだろう。そんなに急いで来なくてもいいのに。
おまけに昨日の暖気もどこへやら、肌寒い。
目下のところ家の中を独り占めしている私は、そこいらに着ていたものを脱ぎ棄ててしまうので、朝になって気温が下がっていると、手元に着るものがなくて、それだけで、起きる気力を失ってしまう。
こういうときは、栄養をつけなけりゃ、と勝手な理屈を付けて、朝ウインナソーセージを思い切り食べることにした。
野菜はレタスと生の春菊をゴマだれで、バリバリ。ジャムを作りすぎて冷蔵庫にびっしりあるので、極力パンにつける。
午前中は寒くて動く気がしないので、ひたすらテレビを見る。でも面白かったのは、ごみ屋敷のご夫婦の話だけ。
お人好しで、他人から持ち込まれた不用品を引き受けているうちに、溢れて捨てられなくなったという気持ち、なんとなく理解できるような気がして、笑えた。
ぼんやりしているうちにお昼になったので、そうだ、パスタを食べよう、と思い立って、玉ねぎとブロッコリーの茎(捨てないでおいてよかった)を炒めて、アンチョビをグルブルひっかき回して、バジルの粉とお醤油を振る。これ新発見、美味しかったな。
旦那は病院の中を散歩して珈琲屋でサンドイッチを見つけ、「今度買ってきて食べちゃおうかな」、というので、「そんなことしたら退院できなくなっちゃうからね」、と脅かしたら、痛いところを突かれて、黙った。
見張ってなくちゃ。でも食欲があるのはいい傾向だわ。
14日 体の芯まで冷え込んで、冷たい雨がひとしお身にしみる。これが本来の冬の姿なのだろうとは思うものの、近年の暖冬に慣れた身には応える。
昨日からエンジンストップしてしまった私は、午前中何もしないでじっと座っているので、なおさら体に力が入らない。
こういう日は、ばたばたと体を動かすのが最短距離の回復法なのだとわかっていても、ただただ座っているだけ。
お昼になって思い立って熱いお粥をつくって食べたら、やっと血が回り出した。
要するに「気」がおきなかっただけのこと。でもお蔭で読みかけの本を読み切って満足した。
15日 12月も早や半分過ぎてしまった。氏神様の大銀杏の葉が、ついこの間色づいたと思ったのに、あっという間にまっ黄色になって、そしてあっという間にすっかり裸の姿になってしまった。30メートルもあろうかと思う天を突く枝の先が、植木屋さんを入れたようにきれいに揃ってとても美しい線を画いている。
もしあれが人の手でなされたものだったら神業だ。神社だから神様指し回しの植木職人が空から舞い降りて来たのかもしれない。
この落葉は、初詣の準備に入る20日過ぎまで掃かれずに、黄色い絨緞として、楽しませてくれるのだけれど、ついこの間この風景を見たと思ったのは、もう1年前のことだった。
このところ続けて海の夢を見る。若いころから、私が海の夢を見るのは、吉事の前兆なのだ。
夫が元気になってくれるのだといいのだけれど。超音波の検査のためにお昼を抜いた夫のために、サンドイッチを買って行ったら、退院のお許しが出たということだった。やっぱり昨夜の夢は正夢だったらしい。
こっそり飲ませているノニジュースの効力が出てきたのかもしれない。そうなったら一日も早く帰りたがるけれど、やっと一人暮らしが板についた私としては、準備も必要。
夜11時半、福岡の出張から最終便で帰ってきたトールが、めんたいこを持って寄ってくれた。
やった〜!この間から明太子が食べたかったのだ。(本当はさつまあげも欲しかったんだけどなあ)
16日 朝銀行に行って旦那の「保釈金」をおろしてくる。何分にもこの押し詰まった時期、ひとりで大金を持って歩くのはおっかないので、ノリコを護衛に連れていった。ついでに別の銀行と郵便局を回って今月の用事を全部済ませる。
数字が苦手の私にとっては、銀行関連の作業は入学試験ぐらいの緊張感があるのだ。
ついこの間、旦那に「おまえさんは世事に疎いから、お金を動かす時は子供たちに相談するように」と言われたばかり。
それが心配で死ぬに死ねない、というのだから、心配させてれば、生き長らえてくれるかも。
明日の午後迎えに行って、取り敢えず退院することになった。さて、これから年賀状を書かねば。
17日 今日まで寒気が残るという予報だった。だから本当は明日以降の退院にしたかったのだけれど、入っている人の身になってみれば、一日も早く帰りたい気持ちもわかる。
朝から冷たい雨。家じゅうを温めて受け入れ態勢を整えた。
昨日買ってきた材料を駆使して、野菜、鶏団子、豆乳で、具だくさんのシチューをコトコトと煮る。
病院の食事でさんざんぼやいていた夫には、申し分のない献立のはず。美味しそうに綺麗に食べてくれたので、ほっとした。
リラックスした旦那は、寝る前に1か月振りにお風呂に入った。病院ではシャワーだけなので、「長湯しないように」、と言いに行って、うっかり言い間違えた。我ながら何ということを!「あんまり長生きしないでね」。
思わず二人とも笑ってしまったれど、旦那は何と思ったかしら?
今日のお風呂は、退院する夫のためにと、月始めにマチコさんが送ってくださった庭の柚子をたっぷり。
お風呂にのぞきに行ったら、うっとりとした顔で、首まで漬かっていた。
18日 昨日とは打って変わった晴天の朝が明けた。病院から持って帰ったものを全部洗う。2階のテラスに乾しに出たら、竿の先にサファイアのような水滴がきらきらを輝いて、えもいわれぬ美しさを醸し出していた。一粒一粒の光の中から、妖精が飛び出してきそうな気配。
下からCDのモーツアルトのピアノとオーボエが聞こえてくる。
朝のモーツアルトが悲しげに聞こえるのはどうしてなのかしら。余談ながら旦那は昨日退院してきてから、ずっとモーツアルトを聴いている。
今朝台所を片づけていて、旦那の湯呑が洗剤に踊らされて宙を舞った。上半分が粉々になり、慌てて手を出して、少し血が出た。でも湯呑が身代わりになってくれたのだと思うことにする。
19日 これ以上は無理ですよ、というほどの見事に澄み切った空が広がる。
昨日久し振りで渋谷に出て、バスの中でちょっと右ひざを捻ってしまい、ある角度に痛みが走る。ちょっと迷ったけれど、旦那の調子もよさそうなので、思い切って健康体操に行った。
すこし加減しながら45分のメニューをこなして、ミストサウナで汗を流して、お昼少し前に帰宅したころには、足の痛みもなくなった。やっぱり行ってよかったということ。
病院に行かなくてもよい、と思ったら気が抜けて、矢鱈と眠い。病院食に不満だった夫のために、少しおかずを増やしたら、今度は、食べすぎだという。
今夜の献立は、鶏と卵とネギ、高野豆腐の煮物、鯖の味噌煮、シジミのおすまし、それにほうれん草のノンオイルドレッシング。
明日は何を作ろうかしら。また悩み多い日々の始まりだけれど、これを文句言ったら、罰があたるだろうな。
20日 町を歩いている男性を見ると、その人のパジャマ姿を想像してしまう。
入院シンドロームというのかしら。何回も入院を繰り返していると、必ずと言っていいほど、目障りな人が一人は居る。
やたらと大きい声を出す人、自分勝手な人、わがままな人。それに耐えられなかったら、淋しく高額な個室を選ばざるを得ない。今回のその「手」の人は、看護師さんに頼んで、一日中ぶんぶんと音を立てる足のマッサージをやっている。 その人は、呼吸が苦しいといって、一日中ひーひー、ふーふーと声を上げているけれど、お医者さんや看護師さん、家族の人が来ていると、何故か静かでご機嫌がいいのだ。だから、看護師さんなどは、その人の本当の姿を見ていない。
その人の喋る大声が、究極の青森(だと思う)なまりで、何を言っているのか意味不明なのも参った。
旦那が限界に来なければいいが、とハラハラしていたので、退院できて、心底ほっとした。
うちの旦那は辛抱強いと、看護師さんに褒められたっけ。そんなこと褒められたって、なんの足しにもなりゃしない。
寒いので、夜はほっかほかの鱈のお鍋を作った。お鍋を囲むと、運命共同体だなあ、としみじみと思う。
22日 今日は冬至。相変わらず早起きの旦那は、まだ夜が明けない6時に起きてしまうので、私も目覚ましにテレビをつけて、徐々に覚醒する。今日はお日様の滞在時間が一番短いんだから、そんなに早起きしないでよ、と言いながらもあわてて朝ごはんの支度にかかる。昨日の骨盤体操のせいで、今まで使っていなかった箇所の足の筋肉痛が起きている。
久しぶりに本を抱えてマチコさんの柚子を浮かせた朝風呂にとっぷりと漬かってから、午前中にお寺に地代を納めに行った。
来月は早くに来て紅葉を楽しみますね、と、先月言ったことをすっかり忘れていて、紅葉は1、2本を残して跡形もない。
それでも史跡めぐりの散策姿のグループがちらほら見られ、私もしばし、お堂から漏れてくる読経の声に、体の中がしんなりとしてくる感覚を楽しんできた。
今日は日差しが柔らかく、歩いてきて汗をかいたので、お昼は夏以来久々にとろろのざるそばを作る。美味しかった。
夜になって南からの生暖かい強風が続く。
今日嬉しいかったこと、レイコさんが大腿骨骨折の入院から帰ってきました〜と元気なお電話をくださった。
23日 例によって朝暗いうちに起きる。カーテンを開けたら、空いっぱいに黒い雲が溢れて、お日様の通り道をふさいでいる。
今日は曇りかな?と洗濯を早々と諦めて、こんな日は一日のんびりしようと思った途端に、日がこぼれ出てきた。
でも一旦こうと決めたからには、今日は何もしない。体力のない旦那は、退院以来、朝ごはんが済むと、また椅子の上で寝るようになった。
これっていささか不穏な空気が漂っていて嫌。
最近庭掃除をさぼっていて、銀杏の落ち葉が気になっていたのだけれど、見まわしても葉っぱが見当たらない。
しめしめ昨日の強風がさらって行ってくれたぞ、と思いながら見に行ったら、庭の隅っこでおしくら饅頭状態だった。
せめて庭掃除ぐらい、と思って始めたら、45リットルのゴミ袋がパンパンになるほどの量の葉っぱだった。
腸閉塞で入院中のアツコさんからのメールで、金曜日に退院できることになったとのまたまた嬉しいお知らせ。
病室の窓からの夕日と富士山に癒されました、と書いてあって、ちょっぴり羨ましかった。そんな環境で1週間ぐらい寝ていたら元気になるだろうなあ。でも痛いのは嫌だしなあ。
24日 予報通り寒い朝。目が覚めたらもう隣のベッドはからっぽだった。
起きぬけの顔を鏡に映したら、思わずぎょっとした。なんだか顔全体が垂れ下がっている感じ。
最近頻繁にかかってくる、駅前のなんたらいうエステに行く必要があるかも。
取り敢えず今の私に出来ることから、と思って美容院に予約を入れる。
髪をカットしてちょっぴり元気になった。でも明日の朝もこんなだったらどうしよう。
旦那は、退院後に再開した粉薬の抗がん剤が、著しく体調を弱らせている。
今日はもう粉薬を止めて、お刺身が食べたいというのでそれがいいわ、と早速赤身のお刺身を買ってきた。
さく1本を二人で平らげる。
美容院の女性雑誌から仕入れてきた情報で、水煮の大豆、トマト缶、ツナ缶、玉ねぎ、にんにくをオリーブ油で炒め塩コショウ、バジルで味付けしたら、この上なく美味しかった。
タレントの飯島愛さんが、亡くなったとニュースで知った。本音で生きるこの人が、なんとなく好きだったのに、淋しい人生を終わらせてしまった。かわいそうに。
25日 不景気風は町の隅々まで沁みとおっている感じがする。いつもだったら買い物でごった返す坂の下も、首をすくめて足早に通り過ぎていく人が多いと思うのは、気のせいかしら。
今日は息子の誕生日。毎年この日になると、クリスマスの音楽にかぶせて、タクシーを捕まえられなくて難儀したあの夜のことが、思い出される。
やってくるとリビングが狭く感じられる息子のボディは、これが私も分身かいな、と不思議な気分になる。育て難い子だったんだ。
退院以来食欲はあるのに、なかなか体力の回復しない旦那と、息子のために、ステーキを食べることにした。
正直言ってステーキなんて買ったことがない。この次はいつ食べられるかわからないので、思い切り張り込むことにして、澁谷のデパートの有名店で、松坂牛の脂のない所を選んで買った。
この際旦那の食生活のスタイルも変えようと決心。今までのように、制約されたものの枠を外して、栄養のある食べたい物をどんどん食べさせることにしよう。それでないと、もう体力の限界ぎりぎりなのだ。
それでも努力の甲斐あってか、退院してからの体重は、1kg弱増えている。
夜になって八ヶ岳から掘りたての山芋が届いた。台所を片づけてから、ポストに行くついでに、木畑亭に2本お裾わけに行く。
26日 今年一番の寒い一日だった。「北風小僧のかんたろう」のせいで、体の芯まで震える。
それでも大決心をして、1週間ぶりに健康体操に行き、45分間体を動かしているうちに、やっと血のめぐりがよくなった。
皆次のピラティスや初級エアロに出るという中、私は大急ぎでお風呂に入って、誰も居ないミストサウナで汗を流し、恐らく今日1番だとおもわれる早さでプールを出て、旦那のご注文のいなり寿司と穴子巻きを買って、12時までに帰宅する。
最近は寝椅子を旦那に取られているので、私は、リビングの寝にくい椅子で、首いた〜い、と思いつつ1時間の昼寝。
折角体操してきたのになあ。
最近の旦那は、私の作る食事の味が濃い、という。昔の大家族の頃の癖がなかなか抜けない。
今日こそはと、神経を張り巡らせて作った結果、これ以上は無理、というほどの薄味の生鱈の煮付け、人参と山芋の煮物で、旦那は満足気。私はこっそりとお醤油をたらした。
27日 大学病院退院後、初めての地元の病院外来の日。体が硬直するような寒さの中を、旦那より一足早く順番を取りに出る。
年末のこととて、どんなにか待たされるかと思ったけれど、意外と病院はガラガラだった。
血液検査の結果は悪くない。平常値に戻ったものもたくさんあり、ひょっとしてこれはノニジュースの効果が表れたのかも、と思ったけれど、流石に、病院には言わなかった。あまりのきつさに、3日前から抗がん剤も勝手に止めてしまって、その分ノニジュースの量を増やしている。旦那の病気でいかに現代医学の治療が細分化されているか、良くわかった。
それぞれの医師が自分のテリトリーに良い結果が出れば、それでよし、としているのだから、もう自己防衛しなくては、モルモットになる運命から避けられない。今日は抗がん剤を止めていることを話して、医師の了解もとった。
午後になって、私はどっと疲れが出て胃の具合が悪く、夕食にたっぷり作った「ほうとう」も食べず仕舞い。
28日 今年最後の日曜日。本来なら今頃は年賀状も、松飾りも支度が出来ている時期なのに、今年は何も手配していない。
ひょっとしたら、お正月を祝えないのではないか、と家族の誰もが思っていたのだけれど、年末になって思いがけなく旦那の体調が回復しつつある。
これは本当に有難いことだけれど、あまりにも肩を張って過ごしてきた分のリバウンドがこれまたきつく出てきている。まあ、私の体調不良は一つには、食べすぎということもあるのだけれど。
この世界的不景気風の吹くなかで、我が家には食べ物がいっぱい残っているのだ。
一旦空になった冷蔵庫が、旦那の退院で、また溢れかえっている。
これは毎日違うものを食べさせたいという、私の人類愛に基づくもので、
出来る事ならば、魚の切り身1枚、きゅうり1本、という具合にその日
に食べるものだけ買ってこられたら、こういう現象は起きないんだけれどな。
つい寒さの中を買いに出る億劫さが先だって、無駄なものを買い込んでし
まう。
年末の3日間は、あらゆる意味の掃除に全力をあげなければ、
と決意だけは固めている。


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